森下辰衛先生(三浦綾子読者会代表)をお迎えして。

5日(日)は、三浦綾子読者会代表の、森下辰衛先生をお迎えして、礼拝メッセージ&午後より、「泥流地帯」を語って戴きました(#^.^#)

 

 

 

 

 

 

 

森下先生との出会いは、5年前、茅ヶ崎駅北口の長谷川書店さんで行った講演会ででした。今は天にいる山田先生から、「森下先生のお話が素晴らしいから、是非お呼びしたら?」と伺っていたのですが、ちょうど茅ヶ崎に来られる、ということで講演会に・・。それからのご縁で、毎年8月にいらしてくださるようになりました(*^o^)/\(^-^*)

 

 

 

 

 

 

今回、🎶「赤とんぼ」・・(羽を取〜ったら油虫、じゃないよσ(^_^;)?)のお話を、初めて伺いました。作曲家の、山田耕筰さんは、茅ヶ崎にゆかりのある方で、茅ヶ崎では、よく歌われます。が、初めて、作詞の三木露風さんの「赤とんぼ」の詞に込めた意味、を知りました。 彼は、幼少期に母と別れている。そして、お世話になった「ねえや」とも離れ離れに・・。その寂しさ、「居場所」のない自分を、赤とんぼに重ね合わせ、その赤とんぼが、やっと「竿の先」=「居場所」を見つける。その「竿」とは、十字架(実際、竿は十字に作られているらしい)・・。 そこで、初めて、安住できる、もう決して自分を捨てない、決して自分から離れない、まったき愛で包んでくださる方に出会った。赤とんぼは、三木露風本人を表現している・・と教えてくださいました。(実際、彼は、洗礼を受けたクリスチャンとなった。)

 

 

 

 

 

 

 

 

「泥流地帯」では、「苦難の先にある希望」を語ってくださいました。

苦難は、ただの苦難では終わらない。忍耐、練られた品性、希望を生み出していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の信仰の原点は、三浦綾子さんの「道ありき」でした。19才の時、同じ劇団にいた「モロ師岡」君(現在も、役者として映画やドラマに出演しています)に、「凄い感動した!読んでみて!」と勧められて読んだのがきっかけでした。 「聖い」感動・・!!を覚え、それから、三浦作品を読み続けました。芸人時代、雑誌とかのインタビューで、「好きな作家は?」と聞かれたら、必ず「三浦綾子さんです。」と答えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間のどうしようもない罪の深み、業と言われるような・・。

(ダビデ王が、人妻バテシェバの湯浴みしている姿を見て肉の欲が抑えきれず・・と、ダビデ王側の罪ばかりが指摘されているが)・・バテシェバも、王様が自分を見ているのを知ってて、敢えてやっていたのではないか、と語っておられたのを読んだことがあった。バテシェバこそが、王を姦淫に誘ったのではないだろうか?・・というような切り口は、三浦綾子さんしかできないかもしれない。 それは、「氷点」に出てくる夏枝、にも重なる。

そのような、人間ではどうしようもできない、抗えない「原罪」を、ある種、冷徹に見据えた上で、しかし、「救いの道がある」と呈示する・・「愛」がある、「赦し」がある、「止まることのできる竿がある!」と。

「人間の罪の深み、真っ暗な闇、にもかかわらず・・愛した。命を与えた」方がいる・・と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎年、森下先生がいらっしゃると、「信仰の原点」に立ち返ることが出来る。そして「こころの癒やし」がおきる。 感謝である。

 

 

 

 

 

 

 

「なにわゴスペルでの曲を、先生にも披露致しました(*ノ゚Д゚)八(*゚Д゚*)八(゚Д゚*)ノィェーィ!・・毎回恒例😅」

新しいブログを、この「原点」の記事でスタート出来たこと、その導きに、主を賛美するヾ(≧∀≦*)ノ〃

 

【ローマ5:1-5】

「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

 

詳細は、おやびんブログ【 夏 恒例 ! 「森下先生がやって来た ! 」

京子ちゃんブログ【 森下辰衛先生をお迎えして】

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【主イエスの恵み教会☆牧師マルセまゆみのハレルヤ日記♪か】

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